偉大なる函館の祖母
今回は、おじさんの祖父母の話をしたいと思う。
すこぶる個人的な内容なので
「知らんがな!」
「どうでもええわ!」
「この関ジャニ村上くんのそっくりさんめが!」
ってなる可能性もあると思うんですが、よろしければお付き合いくだされ。
おじさんは現在沖縄に住んでいるが出身は奈良。
さらに、おとんが北海道の出身なので本籍は北海道である。
経歴が日本列島を縦断してしまっているタイプのおじさんなのだ!!(?)
ということで、北海道には父方の親戚がおり、函館にはおじさんの祖母がいる。
もとい、いた。
去年、残念ながら亡くなってしまった。
まぁ高齢だったので覚悟はしていたし、病気の末苦しんでとかでもなく、まさに大往生。
それもあってか、「孫ととしてどうなん?」と思うくらい悲しい気持ちにはならなかった。
お疲れ様、という気持ちが一番大きかったように思う。
まぁ、そんな辛気臭い話をしたいのではなく、このおばあちゃんがなかなか凄い人物だったので紹介したい。
おじさんはこのおばあちゃんを、函館に住んでいたばあちゃん「通称 函ばあちゃん」(はこばあちゃん)と読んでいた。
今振り返ってみると奇妙なネーミングセンスだ。
誰が言い出したんだろう。
でも、「その一家でのみ通用する呼称」みたいなのって各家庭あると思うので、その類と思ってもらいたい。
遠方に住んでいたので、今まで函ばあちゃんとあったのは通算で10回強程度だとと思う。
少ない回数ではあったものの、おじさんは函ばあちゃんが大好き出会った。
とにかく優しかった。
函ばあちゃんが遊びに来たら、トイザらスに連れてってくれて欲しい物をなんでも1つ買ってくれた。
子供の頃の僕の中で
函ばあちゃん=トイザらス
という図式が成り立っており、函ばあちゃんを呼ぶ時たまに
「トイザら‥じゃない函ばあちゃん!」ってなることがあったくらいだ。(ひどい孫)
とまぁ、ここまではどこにでもいる孫煩悩な普通のおばあちゃんのお話である。
ここから、函ばあちゃんが一体どうすごい人だったのかを綴っていきたい。
函ばあちゃんは、北海道にある旅館に嫁ぎ女将として手腕を振るっていた。
おじさんが一度函館に行った時、お酒を飲みながらその時のことを話してくれた。
函ばあちゃん
「ばあちゃんはね、近くにあるどこの旅館よりも高い給料を仲居さんに払ってたよ。」
おじさん「へぇ。なんでなん??」
函ばあちゃん
「そしたらね。辞めないの。仕事できる人が辞めるのが一番大変だからねぇ。新しい人探すのも大変だし、1から仕事教えるのも大変だから。」
目先の利益ではなく、長い目で見て得を取れる賢い経営者なんだったと思う。
他にも色々と話を聞かせてくれた。
函ばあちゃん
「仲居さんで、新しく公開された映画をどうしても見たがってる人がいてね。仕事が暇な時間に見に行かせたの。」
おじさん
「え!?仕事中に!?」
函ばあちゃん
「そう。その時間の給料も払ったよ」
おじさん
「なんで!?経営してる側からしたらメリットゼロやん!」
函ばあちゃん
「映画見たいなぁと思いながら働かせるより、暇な時間に見に行かせて、忙しい時間に集中して働いてもらった方がいいでしょ?」
おじさん
「おぉ、確かに」
函ばあちゃん
「その仲居さんは、この件を意気に感じてくれて、それからもずっと頑張って働いてくれてたよ。」
おじさん
「なるほど。確かに職場からそんな神対応されたら、この会社のために頑張ろうってなるよな。」
人の心を理解して、しっかり掴むのが上手い。
人の上に立つ者としての資質があったんだと思う。
これらの采配は、今の時代でも「へぇ、凄いじゃん」ってなる話だと思うんだけど
ふた昔前の時代でこの感覚を持っていたというのが本当にすごいと思う。
ちなみに、函ばあちゃんの旦那で僕のじいちゃんにあたる人は、酒飲みで働き者とは言えなかったと聞いている。(おじさんは確実にじいちゃんの血を引いている)
そんなこんなもあってか、函ばあちゃんは、じいちゃんと離婚をした。
なので、おじさんは函館のじいちゃんに会ったことは無い。
離婚した函ばあちゃんは、旅館を出て
女手一つで子供3人を育てることになる。
これまた、今でこそ離婚をすることはさほど珍しいことではないし、女性の社会進出も進みつつあるので、立派にシングルマザーをされている方が沢山いる。
が、当時はまだまだ女性が一人で働くには大変な時代だったと思う。
しかし、そこはさすが函ばあちゃん。
化粧品の販売を行い、なんと北海道でNo. 1のセールスレディーになり
子供3人を女手一つで大学卒業まで育て上げている。
凄すぎる。
おじさんなんて、まだ自分の面倒もろくに自分で見られていない状態である。
まだまだ上手くいかないことだらけ。
辛いことや諦めそうなこともある。
だが
「あの函ばあちゃんの血を引いてるんだから、何とかなるだろう!」
と思うとなんだか踏ん張れる。
恥ずかしげもなく、とても野暮ったい言葉で言わせてもらうなら、誇りに思っている。
函ばあちゃんはもうこの世にはいない。
函ばあちゃんの頑張りや工夫は、今後世に広く知られるようなことはまず無いだろう。
おじさんがこれから活躍することで、函ばあちゃんがこの世にいたことに少しでも意味を持たせられたら嬉しい。
とか思いながら、また明日も頑張ろう。
函ばあちゃん、ゆっくり休んでね。お疲れさん。